新東亜論―米国の普遍主義を排す(2009)10

10.国家にとって政治と経済と文化は三位一体のものです。

さてそれでは、論旨も大体尽くされましたので、最後に本論の要約と補足も兼ねて、これまでの議論のまとめに入ろうと思います。まず私が主張したい最初の点は、アメリカがグローバル化を標榜して進めてきたリベラル・デモクラシーという「文明」は、多系的な民族の「文化」を基盤にして初めて意義を持つということです。例えば民主主義についていえば、個人の政治的自由は無論擁護されるべきであり、それに対する批判の余地はありませんが、本質的に重要な問題はその自由の持つ意味内容です。西欧的なやりかたで政治と宗教を分離し、国家の道徳的なコミットを排除すれば、結局個人は価値相対主義の暗闇で道徳的な指針を見失い、目先の快楽に支配されてしまいます。これは人間性の喪失であり、自由の名に値しません。また市場経済に関しても、際限のない資本の自己増殖は疎外と搾取によって人間社会を絶望と貧困で引き裂きます。人間ための経済が経済のための人間になってしまうわけです。したがって民族共同体の道徳心によって市場経済は適切に統制されねばなりません。また別の意味で、民族のインフォーマルな規範である道徳心は、共同体を構成する個人の間に信頼を通じた協力行動を促して、社会全体の経済パフォーマンスを高めることにもなるでしょう。このように、民族の歴史的遺産である文化的信念は、リベラル・デモクラシーを受肉化する上で極めて枢要な役割を果たすのです。

 次に、上述した文化的信念をフォーマルに制度化するためには、国家の強固な政治的基盤がなければなりません。もとよりそれは国内で施行される法令もそうですが、国家間のバランスオブパワーに依拠した地政学的安定基盤が重要になります。戦後我が国は、石橋湛山の小国主義を地で行く軽武装で、殆ど全ての国防をアメリカに依存してきましたが、そうしたなかで我が国の民族道徳の表徴たる特異な産業経済を温存しえたのは、ソ連の脅威に対抗するという西側陣営内部の政治的コンセンサスがあったからです。しかし東西冷戦が終焉し、苛烈な大国同士が鎬を削る目下の国際情勢を前に、全ての民族はその道徳的自由を護持するため、国家という権力装置によって武装する必要があります。このように、人間が個人としてその政治経済両面での自由を欲すれば、まず彼は自己の属する民族に内治と外交両面での政治的主権、すなわち国家を与え、以って国家の政治と経済、文化、あるいは政府と市場、道徳の三位一体を絶対不可欠のものとして確立する必要があるのです。

 

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