本当の「維新」とは何か:第Ⅰ部③ ボストンにいるB君と香港にいるN君に捧ぐ

○さて次に、信仰における規範の内面化を促した「宗教改革」が国家権力の発動について帰結した第二の効果は、主権の対外的効力である。それまで西欧の国際関係はローマ教会を通じてキリスト教の普遍道徳に規律されていたが、「宗教改革」の結果成立した「主権国家」は、宗教道徳の羈絆を脱して純然たる世俗国家(secular state)となり、マイネッケが概念化した「国家理性」にしたがって目的合理的に自己の国益を追及する権力機構になった。かくして国際関係を規律する原理は、「法の支配」から価値中立的な「勢力均衡」へとその性格を180度転換したのである。

○しかし我が国の事情はまたしてもこれと異なる。というのも、上述した神武東征を皮切りに我が国が有史以来天皇の御名において遂行した全ての戦争は、皇祖天照大神の神勅を葦原中国に恢弘する、換言すれば四海六合に皇道を宣布し八紘を以て一家と為すための「聖戦」に他ならず、西欧近代におけるような単なる価値中立の権力的発動ではあり得ないからである。むしろ天つ日嗣(あまつひつぎ)たる天皇を戴ける我が国は神国であり世界万邦に冠絶せる道義的中心国(=中国)であるが故に、国体なき覇道の国家と民族を善導し、世界万民を遍く皇恩の恵沢に浴せしめるという「世界皇化」の民族的な天命を担い立てるのである。

○では我が国の戦争目的が「世界皇化」であることは間違いないとして、その手段たる戦略戦術の局面で我が国はいかに夷狄を従えたか。これはすでに前段で触れた神武東征の精神で明らかにしたが、同様の事実は日本武尊が東夷征伐に赴く際、景行天皇が「荒ぶる神と服わぬ人どもを言向け和せ」と詔り給いた思し召しにも表れている。「言向け和す」という言葉に、天皇の御稜威による夷狄討伐という理念が示されているのである。

山鹿素行の『中朝事実』武徳章にいわく、「謹んで按ずるに、大八洲(おおやしま)の成るや、天瓊矛(あまのぬぼこ)に出づ、其の形乃ち瓊矛に似たり、故に細戈千足国(くわしほこちだるくに)と号づく、宜なるかな」と。しかしここに出てきた天瓊矛について、素行は次のようにも言っている。いわく「謹んで按ずるに、神代の靈器一ならず、而して天祖二神(伊弉諾尊と伊弉冉の二神)に授くるに瓊矛を以てし、任ずるに開基を以てす、瓊は玉也、矛は兵器也、矛玉を以てするは、聖武にして殺さざる也、蓋し草昧の時、暴邪を払い平らげ残賊を駆去するは、武威に非ざれば得べからざる也、故に天孫の降臨も亦矛玉自ら従ふと是れ也、凡そ中国の威武、外朝及び諸夷竟に之を企望すべからず、尤も由ある哉」(神器章)と。何が言いたいのかというと、天地開闢の始め、伊弉諾と伊弉冉の二神が天の浮橋に立ち、天の瓊矛で大海原を掻き混ぜた。そのとき瓊矛から滴り落ちた滴が積もってできた磤馭慮島(おの

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