岩波文庫の『石橋湛山評論集』所収「大日本主義の幻想」は、世界恐慌前の大戦間に我が国で猖獗を極めたリベラル思潮の最も先鋭的な論説である。内容は我が国が戦争で獲得した朝鮮・台湾・樺太、そしてシナやシベリアに対する軍の影響力を全部放棄しろというものであるが、最近の朝鮮研究、特に戦前の朝鮮統治をどう評価するかに関わるので取り上げたい。さて、筆者はその主張を次のように要約している。ちなみに、筆者の定義によれば、大日本主義とは「日本本土以外に領土もしくは勢力範囲を拡張せんとする政策」のことである。
「経済的利益のためには、我が大日本主義は失敗であった、将来に向かっても、望みがない。これに執着して、ために当然得らるべき偉大なる地位と利益を捨て、あるいは更に一層大なる犠牲を払う如きは、断じて我が国民の取るべき処置ではない。また軍事的にいうならば、大日本主義を固執すればこそ、軍備を要するのであって、これを棄つれば軍備は要らない。国防のため、朝鮮または満州を要すというが如きは、全く原因結果を顛倒せるものである。」
筆者いわく、我が国の海外領土は米英(インドやフィリピンなどの植民地を含む)に比して貿易・投資の収支が悪く、さしたる重要産物の開発供給も期待できない。それのみか朝鮮や台湾に対する異民族支配やシナやシベリアへの干渉政策が現地住民の反日感情を強めている。それに列強の海外領土はいずれ独立するのが必至の趨勢であるから、むしろ我が国が率先して海外領土を放棄し、民族解放の道徳的模範なれば、結果的に国際的な自由経済の恩恵に与れるだろう。また海外領土は経済的利益を生まないのであるから、これを米露のような他国が侵略する懼れはない。逆に我が国の海外領土が、他国への軍備を必要とする原因となっているので本末転倒だ。
以上が全体の論旨である。まず、この文章は22年のワシントン会議で各国合意されたリベラルな国際秩序を前提していることが重要だ。それは大国間の協調外交と金本位制に基づいた、カール・ポラニ―の言葉を借りれば「自己調整的市場」を柱とする環境の中でのみ可能な議論である。しかしその後、国際的な資本移動の自由化が投機を生み、それが金融恐慌を引き起こすと、政府は悪化する失業問題に対処する必要から、保護主義的経済政策に舵を切り、植民地と本国との間で閉鎖的な経済ブロックを構築しだした。かくして大戦間期の自由主義的国際秩序はあっけなく崩壊し、大国政治の悲劇が繰り返された。つまりむしろ現実の歴史は、大日本主義よりも湛山の高唱した小日本主義が幻想であったことを証明したのである。
こうした顛末から得られる教訓あるいはインプリケーションは、第一に、自由主義経済は、超大国による一極支配か大国間のバランスオブパワーかを問わず、何れにしても権力関係の安定的基盤を抜きには成り立たない、またそうした基盤の中心を占める覇権国が、基軸通貨の発行に伴う特権を手に入れるということ。そして第二に、いわゆる「自己調整的市場」は機能しないので、政府は自国の戦略的な産業と技術を保護ないしは独占してこれを他国に売り渡さないということである。そうしてみると、朝鮮・台湾、樺太の放棄は、極東に権力の空白地帯を生み紛争の原因を作るから、アジアの自由な経済秩序をかえって損なう上、特に現在では、いわゆる石油やレアメタルなど戦略的に重要な原料は、地域の安定をつかさどる覇権国の独占に委ねられざるをえないだろう。もっとも私はここで朝鮮や台湾、樺太で石油やレアメタルが採れるからというだけで重要だと言っているのではない。例えば、自由貿易を成り立たせる航路の安全確保において、それらの地域が果たす戦略的重要性を併せて指摘している。第三に、結果的に先の大戦でアジアの植民地は独立したが、それは自己の生存とアジアの解放を決意した日本民族の主体的意思と行動によるものであって、決して歴史の必然ではない。よって列強に先手を打って自らの海外領土を放棄するというのは希望的観測に依拠した主張に過ぎない。