○「国体」転覆=共和革命としての「戦後民主主義」
近代「文明」の「普遍性」に潜む伝統「文化」の「特殊性」、この巧みに隠蔽された権力意思こそ、戦後民主主義の正体である。大東亜・太平洋戦争に於ける日本の惨憺たる敗北の結果、天皇を中心とする我が国の「国体」原理は、アメリカとそれに便乗したリべラル派知識人による徹底的な批判の標的になった。ここでいう我が国の「国体」を他国のそれと分かつ本質的特徴は、その類稀な君臣の「忠孝一致」にある。忠は国家に於ける公的な主従契約関係であるが、対して孝は、家族に於ける私的な主情的親密関係である。多くの国は、「忠ならんと欲せば孝ならず、孝ならんと欲せば忠ならず」というような両者の不一致を来たしてきた。結果、そこではシナ歴代の征服王朝のように、支配者家族が人民と領土を家産の如く私物化し、また人民も「上に政策あれば、下に対策あり」という格言が物語るように国家への公共意識を甚だ欠如してきたのである。ところが、我が国の事情はこれと異なり、万世一系の皇統を根幹として国民が血統的な一体性を保持してきた為、宛ら国家全体が一己の家族のごとく、しかして家族全体が一己の国家のごとき稀有な様相を呈するに至った。自然、国家権力と宗教道徳は分かち難く結合し、その中心に位置する天皇は、国家神道の祭司であると同時に国家権力の元帥として世々国家臣民に君臨してきたのである。
しかし赫々たる明治の栄光から一転、昭和亡国の暗黒時代を経験するなかで、上述したように戦後我が国では、国家滅亡の根本原因を、この「国体」原理に帰す論説が、リベラル派知識人から提出された。就中その嚆矢をなす丸山真男は、明治憲法憲法体制に於ける天皇を媒介した国家と宗教の相互移入が、公的責任の主体的担い手たる近代市民の成熟を妨害した結果、天皇の権威を笠に着る指導者の無責任な国家運営を招いたと指摘したのである。そこで戦後、「思想統制の権化」たる天皇国体は排撃され、国家と社会の分離を説く「国家中立性」が戦後民主主義の根本原則になった。現行の「象徴天皇制」を以って、国体は護持しえたとする弁疏は一種の欺瞞である。現行憲法は市民契約に発した共和憲法であり、君臣の大義に立つ本邦国体とは氷炭相容れない。したがって戦後の憲法改正は実質的な「八月革命」である。遺憾にも、政権を剽窃され、国家祭祀を私事化された現下の天皇は、革命党との妥協で「皇帝」の称号と巨額の年金を保証されながら、有名無実の退位皇帝と化した宣統帝と一体何の変わる所があるか!
○戦後民主主義は、文化相対主義を帰結し、国民を欲望の奴隷に貶めた。
いまや戦後60有余年が経過し、君臣の名分は久しく没却の彼方にある。しかしその間、父祖の国体を破棄した大逆無道の国民は、果たして戦後民主主義の道徳的彼岸に到達しえたか。アメリカ由来の戦後民主主義が理想としたのは、全ての個人が「善の構想」に関して自由な道徳的「自己決定」を下し、またそのために必要な富や財産を、経済活動を通して追求する状態であった。前述のように国家の「共通善」は排除され、全ての「善の構想」が平等に承認されたが、これは「客観的真理」の無謬性を斥けることによって「主観の複数性」を擁護するためであった。しかし全ての主観が平等に価値を有するものであるならば、それは結局全ての価値の信憑性が相対的なものであることにはならないか。ここに民主主義の矛盾があった。それは「自分は嘘つきである」と嘘をついたクレタ人のように、全ての自己から道徳的確信を奪い去ったのである。
もう一つ戦後民主主義の顕著な弊害が露呈している。快楽主義の蔓延がそれだ。文化相対主義による道徳の荒廃は、皮相な物質主義による精神汚染を招いた。近代ヒューマニズムの高邁な旗印を掲揚し、神の頚木から脱した国民は、自由を手に入れるという本来の希望とは裏腹に、結局は下劣な欲望の端女として、新たな主人(マモン)の支配下に降ったのである。