山本七平『現人神の創作者たち(上)』覚書1

  山本七平『現人神の創作者たち(上)』覚書1

 山本七平『現人神の創作者たち(上)』覚書StartFragment

朝鮮研究をやるうちに、李朝の官学である朱子学に論が及び、それではわが国でも朱子学を徳川幕府が官学にしたが両国の受容の仕方にどんな違いがあるかが問題となった。そこで山崎闇斎の崎門学を主題にとる本書に注目した。難解ゆえに我流の解釈になるが、さしあたり自分の問題関心にとって必要な箇所を摘記し、インプリケーションを引き出してみる。

 

・「戦後社会は、自らが一定の思想のもとに構築した社会ではなく、敗戦の結果「出来てしまった社会」である。この出来てしまった秩序をそのまま認め、その統治権がいかなる正統性に基づいているかを問題にしないか、出来てしまった後で何らかの借り物の正統性を付与するという疑似正統主義(太字評者)、すなわち戦後と同じ状態の「まやかし」に基礎をおくことは、実は幕府なるものの伝統であった。」(p16

・ 「林道春もこの矛盾につき当らざるを得ない。徳川家は少なくとも形式的には天皇により征夷大将軍に任じられており、それが彼の伝統的な位置である。だがそれは彼が武力によって覇権を掌握した結果であり、その自己の道程を正当化すれば同じものが出現してもその者も当然に正当化される。・・・これでは「乱世そのもの」に正統性を付与することになり、秩序の思想にはなり得ない。とすれば徳川幕府なるものが人類普遍の原理に基づくがゆえに正統性をもち、これへの反乱は正統性への叛逆であることを、どのようにしても証明しなければならないが、そうなると天皇の存在もまたこの原理に基づかねばならなくなって当然である。」(32)

・ 「通春(羅山、評者)によれば南北時代の僧中厳円月は、神武天皇は呉の太伯の子孫だという説をたてたがいれられず、その書を焼いてしまったという。」(33

  ⇔熊沢蕃山の水土論

・ (朱、評者)舜水は光圀を通じて様々な影響を与えただけでなく、・・・日本民衆への絶対的影響は楠正成の再発見であり、彼を文天祥と同列に置いたことである。」(64

・ 日本=中国論の源流としての山鹿素行『中朝事実』

「日本に目を向けたという点では蕃山と素行は同じだが、両者の発想は全く違う。蕃山にとっては「水土」が違う日本と中国は別のものであり、先方の規範は決して日本の規範とはならないとはいえ、それはアジアの中心文化として敬意を払いかつ参考にすべきものであった。しかし素行では「日本=中国」で、かつて中国が絶対化されたように、今度は日本が絶対化される。・・・朝幕並存こそ「真の中国」のあり方になってしまうから、極端な体制派になる。」(71

・ 「易姓革命」をどう評価すべきか 「いわば「君臣の義」すなわち既存の秩序を絶対に守る事が「義」なのか、そのためには暴君を諫めて殺されようと幽閉されようと叛逆をしてはならないのか。それとも君主が暴虐なときには民のため臣が叛逆してこれを誅滅することが「義」なのか。」(83)

  →文王は韓愈の『拘幽操弁』の理想化する前者、武王は「湯武論」の後者

・ 「彼(闇斎)の大きな特色は中国的な革命思想の否定すなわち「湯武放伐論」の拒否なのである。」(109)

・ 「師のこの論をさらに徹底させた弟子の(浅見)絅斎では以下のようになっていく。「正当の義、簒臣、賊后、夷狄、是を正統とすべからざること、方正学一代の「名論」ぞ。さて正学の云い足らぬ処がある。是なれば此の三の外は、天下を円めて穏やかに治めさえすれば、正統とする合点ぞ・・・。」(111)

・ 朱子学的疑似正統主義の弊害

「闇斎は弟子に問うて言った。「嘗て群弟子に問うて曰く、方今彼邦、孔子を以て大将とし、孟子を副将とし、数万騎を率い、来りて我が邦を攻めば、則ち我が邦孔孟の道を学ぶもの、これを如何となすかと。弟子咸答うる能わず。曰く、小子為す所を知らず、願わくばその説を聞かん」。・・・これに対して闇斎は次のように言った。「不幸にして若し此厄に逢わば、則ち吾が党身に堅を被り、手に鋭を執り、之と一戦して孔孟を擒にし、以て国恩に報ぜん。此則ち孔孟の道なり」と。」(121)

 

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