「崎門学に学ぶ④」一水会『レコンキスタ』平成26年2月号

平成の不平等条約

レコン4崎門派の梅田雲浜をはじめ、幕末の志士たちを激昂せしめた対米条約の問題性は、第一に、徳川将軍といえども、その地位は天皇の臣下に過ぎないにもかかわらず、幕府が朝廷の勅許を得ぬまま、独断で条約を締結したこと、そして第二に、その条約がアメリカの有無を言わせぬ軍事的恫喝の下で締結され、わが国が関税自主権を放棄し、治外法権を認める不平等条約であったことにあった。

こうしてみるならば、目下、安倍首相靡下の自民党政権が推進しているTPPは、第一にそれが、国民主権に基づく政府の独断によって締結され、畏くも今上陛下の御叡慮を蔑ろにしているということ、そして第二に、その内容が我が国の関税自主権を制約し、我が国をアメリカに対して不利な法的地位に立たせるという意味において、上述した不平等条約と性格が酷似している。もとより、アメリカが我が国に要求する「第三の開国」は、我が国の主権を脅かす隣国シナに対する封じ込めの一環であり、また彼らはそれを口実として「日米同盟」(対米従属)を強化せんと企んでいるが、詰まるところそれは、かつて彼らが英仏列強の脅威をちらつかせ、黒船の軍事的恫喝によって半ば強制的に我が国を誘導した「第一の開国」と本質において何ら変わるところはない。安倍首相は、井伊の轍を踏を踏んではならない。

大義に生きる志士の苦悩

孟子いわく、「天のまさに大任をこの人に降さんとするや、必ず先ずその心志を苦しましむ」と。上述のように、梅田雲浜の言行を貫くものは、崎門学によって陶冶(とうや)せられた純乎たる皇室中心主義である。しかし、こうして彼の言行が大義に対して忠実であればあるほど、それは周囲の現実との間に様々な軋轢や葛藤を生み、彼に非常な困苦を強いずにはおかなかった。

かつてペリーが浦賀に来航したとき、雲浜は自らの主君である小浜藩主の酒井忠義に宛てて「藩政の得失と外寇防御」に関する意見書を上申したが、これが却って忠義の逆鱗に触れ、雲浜は藩籍剥奪の憂き目に遭っている。それ以降、雲浜一家は激しい貧困に陥り、ついに妻の信子は結核をわずらって病床に臥してしまったが、それでも雲浜の忠節はごうも屈せず、ロシアのプチャーチンが軍艦を率いて大阪湾に現れた際には、以下のような悲壮な決意を詩に賦して、その撃攘に赴いている。いわく、

「妻は病臥に臥し児は飢えに叫ぶ

身を挺して直ちに戎夷に当らんと欲す

今朝死別と生別と

唯皇天后土の知る有り」

雲浜帰還の後、妻の信子は幼い子供たちの後事を彼に託して死別、享年二十九歳の若さであった。雲浜は、信子にかけた生前の辛苦を思い、彼女の位牌を常に携帯していたと言われている。しかし不幸はそれに止まらなかった。というのも、信子の死の翌年、今度は一人息子の繁太郎が五歳で夭折してしまったのである。かくして雲浜は跡取りまでも失った。

(崎門学研究会)

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