山本七平『現人神の創作者たち』(下)覚書

 崎門学の特徴は孟子的な天命論に基づく湯武放伐を許容しない点にある。では君主が暗愚な場合(失徳の天子)の責任はどうなるかというと、すなわち朝廷は幕府の台頭によって政権を喪失する。それは天子が神器を持っていてもしかりである。

 

「天皇家はなぜ政権を武家に奪われたか、それは朝廷が規範を喪失して背徳行為を重ね、自ら政権を放棄した結果である。簡単にいえばこれが栗山潜峰の結論である。」(104)

 ←栗山潜峰『保元大記』と谷泰山の『保元大記打聞』

・・・崇徳と後白河帝の対立の禍根を作った白河帝の好色淫乱、美福門院(鳥羽帝の

寵姫)の暗躍、後鳥羽帝は神器なしの即位

「『孟子』によれば「父子親有り、君臣義有り。夫婦別有り。長幼序有り。朋友信有り」が五倫であり、人倫の基本として絶対に守るべきこととしている。この点、潜峰の立場は峻厳な儒教的リゴリズムであり、それに基づく批判である。従ってこの原則に違反した行為は天皇であろうと臣下であろうと容赦はしない。まず鳥羽と崇徳の間は形式的には父子だが実質的には父子ではなく「父子有親」ではない。さらに弟である近衛の後を兄である後白河がつぐのは「長幼有序」ではない。・・・天皇が自ら規範を破り原則を無視すれば、すなわち「君、君たらず」であれば「臣、臣たらず」になる。」(116,117

 

三宅観瀾『中興鑑言』「観瀾のこの書はなぜ後醍醐帝の建武中興が失敗し、「南朝」なるものが滅亡したかの分析である。「正統は義にあって器にあらず」とした彼は「神器」の授受で南朝から北朝へ皇統が続いたとは考えず、南朝は滅亡したと断定した。」(172

 

⇒「潜峰の『保元大記』、観瀾の『中興鑑言』を読んだ人は、この徹底した「天皇批判」に

驚かれたかも知れぬ。事実、潜峰、観瀾、直方を読むと、そこから「天皇絶対」などと

という発想が出てくるとは思われず、この人たちが「現人神の創作者たち」の一人であ

るとは思いにくいであろう。」(212

 

赤穂浪士をめぐる崎門三傑の対立

「崎門三傑すなわち浅見絅斎、三宅尚斎、佐藤直方もこの事件の評価では明らかに対立した。簡単にいえば絅斎は支持、尚斎は評価もしくは条件つき支持、直方は否定である。」(231

尚斎の「四十六士論」における直方の「重固問目〈先生朱批〉」

→「為政者としての浅野の行為はもちろん「四十六士」もまた、公朝より私怨を先にした者で、同情の余地すらないと直方は見る。」(239)その一方で「尚斎のような学者でさえ、朱子学的にはこれを否定しつつも心情的にはこれを高く評価する」(244)という心情と法の「二元論」

 

 

→「何しろ死んだ浅野長矩に対して心情的にこれと一体化できるなら、勝手に天皇の心情なるものを仮定し、一方的にこれに自己の心情を仮託してこれと一体化し、全く純粋に私心なくこれを行動に移したら、その行為は法に触れても倫理的に立派だということになる。いわば処刑されても殉教者のような評価を受けることになるのである。」(264

 

→『孟子』「瞽叟人ヲ殺サバ舜負テ逃」(268

「中国では父子と君臣の間は同じではない。それを「君父同然之理、此則忠孝之至也」としてしまえば、「忠孝一致」となる。いわば浅野=赤穂浪士を彼は父子の倫理にして、この関係を肉親の如く絶対化してしまうのである。では忠孝一致で「天皇」を「父」としたらどうなるか。その関係は法を超越してしまい、これが天皇の意思だと信じた場合、何をしてもよいことになり、その行為はたとえ法に基づいて幕府に処断されても倫理的には「舜の如くに」立派だということになるであろう。これは幕藩体制否定、天皇絶対、明治維新への道となりうる。」(269

 

 

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