平成の「日韓合邦」試論(2010)
○「日韓併合」百周年を想う
今年は、いわゆる「日韓併合」から数えて百周年の節目である。朝鮮は我が国にとって宿命の地であり、一衣帯水の両国関係は、今も昔も極東情勢の帰趨を占う重要な試金石である。かつて李朝末期の朝鮮は、清朝の没落と相即して衰退の一途を辿り、外にはアジアの植民地化を企む西欧列強が虎視眈々と侵略の好機を窺っていた。当時、いち早く維新回天の大業を成し遂げた日本は、こうした西欧の帝国主義を痛憤し、自らアジア独立の盟主を以って任じたが、そうした高邁なる理想に発した「日韓合邦」は、列強の轍を踏む「日韓併合」に堕し、今日に至る日韓対立の禍根となっている。しかし冷戦時代が最早遠い過去になり、アジア情勢が流動化するなかで、むしろ今日こそ「日韓合邦」のアクチュアリティーは高まっている。因縁深き両国関係を展望する。
○極東情勢の変容
近年、アメリカのグローバルな覇権が後退し、それと符牒を合して東アジアに占めるアメリカの勢力範囲が縮小している。対するに、シナ中共は破竹の勢いで国力を伸張し、東アジアの地域覇権奪取に向けた道程を邁進している。こうした勢力図の推移は、軍事・戦略面に止まらず、国民経済や国家の道義的威信の面でも顕著であり、まさに東アジアでは、古色蒼然たる大国間の権力政治が復活しつつあるのである。
○我が国の危機
我が国は、先の敗戦以来、自由世界の旗手を自任するアメリカの宗主下に置かれてきた。軍事はアメリカに依存し、父祖の国体を封印する代わりに、国際自由市場へのアクセスを保障され、結果、未曾有の物的繁栄を謳歌するに至った。しかし、上記したアメリカの衰退とシナ中共の台頭によって、世界経済は分断され、国家の領土と権益は侵犯されつつある。さらに国体原理の久しき没却と「戦後民主主義」の浸透により、尊皇心は薄れ、国民精神は区々たる利己主義で寸断されている。
○国体なき朝鮮
一方で、米ソ対立の戦場となった朝鮮は、いまも民族分断の苦衷を舐めている。この悲境を招いた根本原因こそ、朝鮮に染み付いた事大主義と宗族主義の二気性だ。「以夷制夷」式の姑息な外交と、宗族の利己主義で分裂した内政が、外患内憂を誘発し、国家の統一と独立を阻害したのだ。そして戦後の南北朝鮮もまた、米ソの傀儡に甘んじ、民族独立の宿願は成就していない。ただし、韓国が政治経済の両面でアメリカの下僕を演じ、過剰な経済自由化、宗族利己主義の蔓延、キリスト教の侵食を受けてきたのに対して、北朝鮮は朝鮮固有の檀君神話を復興し、「主体思想」による民族統一に向け努力しているが、およそ成功しているとはいいがたい。
○国体封印のつけ
その点で、我が国は朝鮮と違い、忝くも万世一系の皇室を戴き、忠孝一致の国体は護持されている。ただそれが政体に具現されていないために、国民道徳の堕落を来たしているだけなのだ。百年前、国運隆盛なりし頃の日本人は、事大主義に固執し、両班・門閥の壟断割拠する朝鮮をわらい、王政復古、維新回天の大業を成し遂げた自らを誇った。しかし、因果はめぐり、今日の我々は、却って自分自身がアメリカを宗主と仰ぐ頑迷卑屈な事大思想に偏し、尊皇の忠義を捨てて利己主義の隘路に陥っているのは口惜しい限りだ。
○「日韓合邦」の可能性
こうした閉塞を打開するため、我々はアジア主義の先覚に学ぶべきである。なかんずく、内田良平翁等の指導による「日韓合邦」運動は、利害の合致する日韓両国の対等合併によって、西欧列強の覇権主義から、相互の国体を共同防衛する目的に発するものであった。現在、米中の二大国が、新手の帝国主義によって周辺小国を脅威しているなか、我が国と朝鮮が真なる民族の自決を遂げるため、積年の葛藤を超えて、「日韓合邦」の大義に帰一すべき機運が到来している。
○朝鮮統一は南北対等で
我々は、この大義を全うするため、朝野を挙げた国論の喚起と国策の転換を達成せねばならない。第一に、南北朝鮮の統一は、民族自決を前提する我々の立場からして、無論歓迎されるべきであるが、それは決して旧東西ドイツのように、北の体制が崩壊して、南がこれを吸収合併したようなものであってはならない。なぜならば、現在の韓国は、経済こそ盛んであるが、上述したように朝鮮民族の国体を体現したものとはいい難く、むしろその点では、経済力こそ乏しいが民族主義と自主独立の外交を展開する北との融和の方が望ましいからである。
○日韓の反目は米中を利するだけ
第二に、北の体制崩壊は即ち朝鮮動乱を意味するが、これは我が国の安全保障上、断固回避すべき事態である。したがって、我が国は現行のような、圧力一辺倒の対北政策を改め、北の国家体制を保障した上で、むしろ南北間の平和的な対等合併を膳立てすることにこそ心血を注ぐべきである。その際、我が国にとって、この国策転換の最大の抵抗勢力はアメリカである。なぜならば、アメリカの極東戦略は、日韓を反目させて「分断統治」することにあり、我が国の主体的な東亜外交は悪夢だからである。しかし、真に我々が「日韓併合」に堕した「日韓合邦」運動の苦い挫折を反省するならば、いまこそ万難を廃してアメリカの頚木を脱し、孫文の警告した如くに「西洋覇道の番犬」から「東洋王道の干城」に変じることこそ、旧宗主国たるの歴史的責任というものだ。
○平成維新を断行せよ
朝鮮半島に強力な統一国家ができるのは、予て我々の望むところである。しかしこの統一朝鮮と轡を並べて「日韓合邦」の大義を実現するためには、同時に我が国自身が朝鮮にとって与するに足る強力な国家たらねばならない。しかし上述のとおり、いわゆる「戦後民主主義」の下で、尊皇の大義は廃れ、攘夷独立の気風は地を払って消沈している。よって、平成の「日韓合邦」の成否は、我が日本民族が平成維新を断行し、祭政一致、忠孝一本の国体を回復しうるかどうかにかかっているといっても過言ではない。